この車の名前はコペル・ボニート。

バンデン・プラという会社が製造した20世紀中頃の名車、バンデン・プラ プリンセスのレプリカモデルです。
バンデン・プラとプリンセスの歴史
バンデン・プラ(Vanden Plas)はベルギーで1870年に工房として産声を上げました。
社名はオランダ語に由来するそうです。
1870年当時はエンジン駆動の自動車がなく、電気自動車が実用化される直前でした。
ん?と思われた方もいるかもしれません。
乗用車って実はガソリン車よりも電気自動車の方が先に実用化されたのです。
驚きですよね。
話をバンデン・プラに戻しましょう。
その後1884年に拠点をブリュッセルからアントワープに移しコーチビルダーとして創業。
当時は車両製造をする企業が車体の製造技術を持たないことが多く、車体を製造する技術を持つ会社はコーチビルダーと呼ばれ、車両を製造する会社と提携を結んでいました。
創業から30余年、英国の自動車会社ワーウィック・ライトがバンデン・プラの英国での権利を購入。
イギリスのバンデン・プラ社を設立しました。
これがバンデン・プラ プリンセス誕生の土台となります。
第一次大戦が始まると、自動車業界にも黒い影が忍び寄りました。
英バンデン・プラも航空機産業に携わったり、航空機製造会社に買収されるなどの紆余曲折が始まります。
最大の転機は第二次世界大戦の終結後。
再び車の生産に戻ろうとしていたバンデン・プラに、高級車を作りたいと考えていたオースティンが接近してきました。
1946年にオースティンの子会社となったバンデン・プラは、A135 オースティン・プリンセスを製造。
コーチワーカーとしての力を遺憾なく発揮して、オースティン・プリンセス リムジンを成功へと導きます。
その後オースティンがモーリスを中心としたナッフィールドグループと合併。
1960年にモーターメーカーとして認められ、オースティン・プリンセスがバンデン・プラ プリンセスになりました。
そして1964年、ついにADO16をベースとしたバンデンプラ プリンセス1100が登場します。
それまでの小型車とは一線を画す圧倒的な高級感、上質感はさまざまな人を魅了。
「ベビー・ロールス」の愛称で呼ばれました。
その後もベース車となったADO16のマイナーチェンジに合わせて改良・コストダウンを実施。
マイナーチェンジ前がMark-I、マイナーチェンジ後がMark-IIと呼ばれます。
最終型となるMark-IIIは、1974年まで製造が続けられました。
そして、コペル・ボニートへ
そんな歴史を持つバンデン・プラ プリンセス。
この名車が、プリンセスのデザインに強く憧れた一人の男によって、レプリカの形でよみがえりました。

ベースに選んだのは、1992年から2002年の間に製造・販売された二代目マーチのK11型。
二代目マーチは名車の呼び声が非常に高い車です。
発売された1992年には、通産省グッドデザイン賞をはじめ以下の賞を総なめにしました。
- 日本カー・オブ・ザ・イヤー
- RJCカー・オブ・ザ・イヤー
- 欧州カー・オブ・ザ・イヤー
特に欧州カー・オブ・ザ・イヤーの獲得は、日本車で初となる快挙です。
累計販売台数は170万台と、絶大な人気を持つ車でした。
このマーチをベースに、バンデン・プラ プリンセスのレプリカを作る。
当時ミヤセ自動車の社長を務めていた現会長の宮瀬文夫は、長年の夢だった「自分自身で車を作る」という夢を実現させました。
ボニートはベースとなったマーチのボンネット、フロントフェンダー、グリル、前後のバンパー、リアハッチを取り外し、成型されたFRP(繊維強化プラスチック)を接着、車体を形にします。
FRPは金属と違って金型の価格が安く、製造コストが抑えられるのが最大の魅力であり特徴でした。
パーツに十分な強度があり、鉄と比べてはるかに軽く、そして安い。
コペルの販売は順調にスタートを切りました。

全国8社の整備工場社長と共に株式会社コペルを設立し、販売特約契約を結ぶ店を開拓。
限定500台の販売台数に対して、発売後2か月で120台を超える受注を獲得しました。
翌年4月には220台を売り抜き、順調そのものだった・・・はずでした。
ところが、思いもよらぬ問題が発生したのです。
問題と、それに対応する力
問題の原因はFRPでした。
接着剤で取り付けられたパーツが走行の振動に耐えられず、接合部にヒビが入るという問題が多発したのです。
全国展開で販売していたことで、顧客は全国に分散。
自社だけでは対応をしきれず、全国のロータスクラブ加盟店に修理の応援を依頼することとなりました。
ここで宮瀬文夫はまたひとつ、英断を下します。
FRP製のパーツから、金型を使った鉄製へと切り替えることにしたのです。
ビジネスの中心に捉えるもの
プレス加工用の金型は、当時の金額で7,000万円が必要でした。
今までの利益がすべて吹き飛ぶ。
それ以上の損失が出るかもしれない。
販売を中止して、傷口を最小限に抑える判断もできたかもしれません。
問題に目をつぶり、そのまま販売を続行する選択肢もあったかもしれません。
ですが、選んだのはより高い完成度に到達して、お客様に満足をお届けできる「金型の製作」でした。
予想外の出資は会社の経営も圧迫。
従業員からも、社長の道楽だと厳しい言葉を投げかけられる日々。
それでも断行したのは、利益主義ではなく
「お客様に本当にいいものをお届けしたい」
との思いからでした。
金型の完成後、ボニートはマーチがフルモデルチェンジを迎える2002年まで販売を続けます。
二代目マーチの生産終了が決まった際、海外では生産が続くこともあって、車両の逆輸入も考えました。
しかしそれでは車両価格が高くなってしまう。
金型への投資額の回収は・・・
ここでもまた英断がありました。
結局ボニートは二代目マーチの生産終了と共に販売を終えたのです。
販売終了から16年。
今ではインターネットで探してもなかなか見つからない、幻の名車となりました。
ですが車両本体は流通量が圧倒的に多い二代目マーチのため、まだまだ部品の調達や修理が容易です。
気になりましたら、そして巡り合うチャンスに恵まれましたら、あなたのカーライフアルバムの1ページにコペル・ボニートを追加されてはいかがでしょうか。
もちろん、全力で整備のお手伝いをさせていただきます。